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さようなら、守屋先生 [雑感吐露]

守屋先生と親しくお付き合いさせていただくようになったきっかけは、卒論だった。ぼくはD・H・ロレンスを選んだ。●眼鏡越しに光る双眸はどこまでも厳格。語り口は朴訥・・・。ベケット研究の徒を自認していた先生は、浅薄なぼくにとってはまさしく正反対にいらしたものだった。●しかし、なぜかかわいがっていただいた。そしてついには、双方の両親に反対されていた家内(英文科の後輩)との結婚に際しては、ぼくの親を説得し、仲人まで引き受けてくれたのだった。●想えば、先生とぼくとの親交は、師弟というより、年に一~二度普段の生活を報告に参上し、酒肴をご馳走になるという一種の《夫婦単位での親子関係》にあったように思える。●先生は釧路出身、家内は小樽出身ということもあり、またご令室も家内も寡黙、しかし時に応じて火のことばをものするなど、ぼくを除いて三人の間での共通点は多かった。●共通点といえば、先生もぼくも酒が入ってのだらしなさは、互いの女性陣には評判が悪かった。先生のお宅に伺えばかならずウィスキーの1~2は空いてしまい、しまいには『このまますし食いに行こう』。「あ、いいですね。ご馳走になります」。いっぽう女性陣すかさず「あなた、およしなさい」、「そうよ、やめなさい」。●この5年ほど、お宅にお邪魔することもなくなっていた。先生もさすがに弱くなり、酒量が落ちた。ぼくも家で仕事をするようになり、飲んだ翌日は仕事にならなくなってきていたからだった。●そんな無沙汰をお詫びしようと電話をさしあげ、先生の入院を知ったのは2年ほど前。さっそく戸山町の国際医療センターに先生を訪ねた。●先生はすっかり気弱になり、復帰の意欲のかけらも見られなかったことに家内ともども驚いた。リハビリによっては復帰も可能、と看護士に励まされているにもかかわらず、奥様によれば『もうだめだ。歩けない』というばかり。寡黙で芯の強い奥様も手を焼いていたのではないか。●ベケット研究の徒を自認していた先生は、その瞬間も文学に生きていたのではないか、つまり未曾有の体験の日々に入られた先生は、すべての瞬間を、文学者としてのその慧眼で見透かそうとしていたのではないか、復帰という世俗的なものに背を向け、自己の終末という終章を耽読していたのではないか・・・そんなふうに想えるのだ。●窓の外に目を遣れば、梅雨の季節に似つかわしくないコントラストの強い六月の空が広がっている。合掌。


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