たそがれる。 [雑感吐露]
市主催の老人健診を受けた。血圧は130+100だった。
今日は眼科。眼底検査の日。バッと強い光をあてられて目が眩むやつだ。
以前はポラロイドで見せてもらったものだが、デジタル化はここにも・・・。20インチはあるだろうか、でかいモニターいっぱいにぼくの目が映されている。
ジーナ・ロロブリジーダを想わせる女医さんは、拡大されたぼくの目を片方ずつ解説する。『瞳の周囲の白い筋雲のようなものがわかりますか?』・・・「ホウ、ホウ」と頷くぼく。
ジーナは艶然と続けて言い放った。『老人性初発白内症です』。
ジーナの口からこんなテイタラクを告げられるとは。
人は、こうして老いていくことを自覚させられて、死ぬ準備をするものなのね。
こ、こんな樹が [雑感吐露]
パラオに行ってきた。
コロール島の町をぶらぶら歩いていて、とんでもないものを見つけた。
そう、Christmas Treeだ。
近くの高校生に訊けばこれは"Ngas"という樹木で、まったく手を加えずにこの形を維持している・・・らしい。
ま、それにしても絵に描いたよう・・・だよね。
予感が現実に・・・星野ジャパンが教えるもの [火の言葉、水の言葉]
協会による星野という監督人選、星野監督によるコーチ陣の編成、選手の選定・・・そのすべてが《内弁慶》の象徴のように思えて仕方なかったからだった。
そしてすべての戦いが終わり、一夜明けての敗戦の将のコメントが新聞に載っている。
いわく《勝つ難しさをあらためて知った》。
戦前は《いちばんいい色(金)のメダルしか眼中にありません》とまでいい切っていただろうに、銅メダルはおろか、4位はないだろう。
持てる力を出せなかった、ということか。
昨日テレビを観ていると棒高跳び優勝のロシアのエレーナ・イシンバエワ(Yelena Isinbayeva)に、さんまがインタビューしている番組にぶつかった。
世界一美しいといわれている腹筋の割れぶりをみせてほしい、とさんまがねだる。
彼女はどうぞとばかりTシャツをちょっとめくり上げ「割れぶり」を見せてくれた。
さんますかさず『何段に割れてまっか?』と聞きながら、数え上げ『1、2、3、4・・・7段だ!セブン、セブン!』と.。
すると彼女から訂正がはいり『エイト』。
さんまこれを受けて両手の指で指差しながら下から『ワン、ツー、スリー、フォー、ファイブ、シックス、セブン、エイト』と数えると、最後に胸のあたりを指差して『ナイン』とやったもんだから、彼女はおそらくふてぶてしいまでに大きくないであろうその胸を両手で抱え込み腹を抱えて笑い転げた。
・・・なんてことはどうでもよろしい。
問題はつぎのやりとりだ。
笑いが収まるころあいを見計らい、さんまがこう尋ねた。
『5メートル05の世界新記録で優勝しはったんやけど、練習やったらもっと跳んではるんと違いますの?』
彼女はどう答えたか。
『練習では4m80しか跳べなかった』
なに?とおどろくさんまに、彼女はこう続けた。『練習と本番とではモチベイションがちがうから・・・』。
野球だけにあらず。
柔道、マラソン、バレー。彼らのモチベイションはなんだったのだろう。
予感が外れりゃいいけど・・・星野ジャパン [雑感吐露]
国際舞台で力を出せるメンバーが少ないってことはないだろうか。
首脳陣を見てもなんだか国内のみに強い「内弁慶」のように見えなくもないし・・・。
国際舞台だろうが、国内だろうが【そんな神経質なことは気にしない、イヤ気にならない】という選手か、あるいは成績はそこそこでも国際経験が豊富だとか、そんな選手が必要だとぼくは思う。
端的にいえばホシノさんが国際舞台とあって必要以上に気負っているように見えることが気になってしかたがない。
惨敗にならないよね?
試写会「最後の早慶戦」を企画した。 [仲間たち]
●朝食メニューを変えてみた [雑感吐露]
あるセミナーで、《生理的に考えてみれば、午前中は排せつの時間。この時間帯に体内にモノを入れるのはよろしくない》との情報を得たからだった。
以来、フルーツに変えている。これまでごはん、味噌汁、納豆、漬物、焼き魚、フロッコリーなど青野菜をしっかり食べていた食習慣から考えれば、ぼくにとっては一大転換だ。
時間は厳密には決めていないのだが、基本的に朝は歩く。1時間から1時間半、距離にして約7-8キロを犬を連れて歩く、あるく。
歩き始めてもう4年ほどだろうか。170センチで71キロ。できれば68キロくらい、欲張って65キロをきりたいと思ったからだった。
歩き始めた当初は順調に体重も落ちたのだが、最近は落ちない・・・・。
そこで出会ったのが、《午前中はモノを入れるな》説だ。
《バナナ1本、オレンジ2-3個》、これでどうなるか、楽しみにしている。
今朝の食事=オレンジ3個、バナナ1本。
今日のウォーキング=歩数合計8902歩、連続歩行数=8251歩、歩行時間69分。了
こんな警官いらない。 [怒っているゾ。]
ふと見ると警官がひとりわが家のとなりの駐車場に。どうやら踏み切りの一時停止を見張っているようだ。
洗車の合間に1台のステイションワゴンが一時停止をせずに踏み切りをわたったのが目の端をかすめた。《ア~ア、かわいそうに1台ひっかかったなぁ》と思ったのだが、あろうことか件の警官、これを見逃した。
つかまるのもかわいそうだが、警官の怠慢はこれはこれでむかっ腹が立つ。「なんで見逃すの~?」と声をかけた。
いきなり声をかけられたこの警官、こちらを振り向いただけでウンでもなければスンでもない(いやぁ、古いなぁこの表現、死語に近いかも。KY語ならばUSとでもいうのかしら?)。
その態度にさらに腹が立った。。「警官不在ならともかく、警官がいながら見逃したら、なめられるでしょ」とおっかぶせた。
すると、ゆっくりと近づいてきて、ぼくの顔をしっかりと見すえてひとこと『だんなさんのおっしゃるとおりです』。
なんだ、この態度。威圧的にも見えるじゃないか!
こうなりゃ、こっちもあとにはひけない「立ってて見逃すなんて、そんなことなら、いないほうがまだマシだろ」。
これに答えてなんていったと思う?この警官。『イヤフォンに音声が入ってきたために、注意をそがれた。いいわけですけどね』とちゃんと逃げ口までつくって弁解をしてきた。
こうなりゃこっちももう止まらない「それならそれで道路に背を向けて、明らかに見ていない、という態度をとらなきゃダメだろう。それもできないようなら、いないほうがマシだよ」。
するとあきれるようなことばが最後に出てきたね。『なら、わたしはひきあげます』だと。
ばかばかしいったらありゃしない「そんないいかた上司に向かっていえるの?」とひとことぶつけてぼくは洗車に没頭した。これ以上かかずりあっては、天気がいいのに気持ちはすさむ。
テディはようやく安心したのか、ぼくのそばに寄りそってきた。
また、このひと悶着を見咎められると、『いい加減にしなさい』カミさんに怒られるだろうなぁ、と戦々恐々だったが、さいわい気がつかなかったようで、ひと安心。もっと暗くなるところだった。
出る杭は打たれるというけれど、ぼくが出たことになっちまうんだろうなぁ、世間的には。了
那珂川ツアー体験記 ~23キロ漕破で“大阿舎利”になった~ [旅をした]
●そろそろと。
講習を受けたのは6月下旬だった。なんとまあーふわふわしているものか…カヌーに乗った第一印象だったっけ。そして2度ひっくりかえった。ぼくだけだった。
しかし川面すれすれにみる江戸川の容姿は格別。陸(おか)で受ける炎暑の風もここでは涼風。“ふん、なかなかだぞ、とひとリごちたものだった。
翌週、おそるおそる江戸川に出た。そのへんにそろそろと漕ぎ出し、そろそろと帰ってきた。艇に当たって両膝が擦りむけた。2週後、そろそろと漕ぎ出し、ぐにゃぐにゃと運河の河口まで往った。そしてやはりそろそろと、ぐにゃぐにゃと帰ってきた。足が痛い。両くるぶしの外側が擦りむけていた。
翌週も川に出た。玉葉橋を往復した。1時間40分かかった。右舷を蛇が文字どおり“蛇行”していた。顔を向けようとして、ひっくり返りそうになった。だから、顔は正面、目で追った。蛇はその胴を左右に器用に振り、ぼくの視界からさっと消えた。ふん、蛇はぼくより“スウィープがうまい”。
その後合計3度乗り、1時間で玉葉橋を往復できた。それでもひっくり返りそうで左右に首を振れない。ひたすら前方を見るのみだ。蛇よ、来るな。
10/08タイムレイスに参加した。『玉葉橋を往復できればだれでもいい』と知ったからだった。ヨ~イドン。スタート時、艇とパドルが起こす波があれほど強いものとは知らなんだ。もうすこし早く漕げるかと思っていたが、期待に反した。やはり「ひよこ」は「ひよこ」だったのだ。
とはいえ、「ひよこ」も那珂川ツアーに参加した。自信はまだない。ただただ、仲間に入りたかったからだ。
8:30、艇庫を出発。一路、栃木県は馬頭に向かう。水戸インターで高速を降り、那珂川の流れに沿うように上流へ。九十九折の坂道に時折垣間見える那珂川は、折しも鮎釣りシーズン酣か。腰まで流れに浸かった釣り人たちの、川に沿って点々と続く黒いシルエットは、五線譜に描かれた音符さながらだ。“ヒョエ~、こんなにいっぱいいる釣り人のあいだを縫って川下りかヨ”。自分の腕をあらためて思い起こして不安になった。
●幕はあいた。
テントを張り終えて練習へ。那珂川上流へ30分も走ったろうかスタートした地点の流れは、江戸川とはまったくちがったものだった。水はきれいだが、流れが速い。川上に向かって左側から離岸してすぐさま右にターンして本流に乗れといわれても、“はい、そうですか”とは簡単にいきそうにない。流れに対して艇の左舷を引き上げるようにしないとチンするヨと教わる。“沈も朕も狆もあるか、そんなこと急にいわれてもできるはずないぞ・・・”覚悟を決めてパドルをつかいはじめた。
げっ!これで練習か。流れが速い、そして複雑だ。深いところ浅いところ。右から来れば、こんどは左側からも波が来る。江戸川のように一定ではない。右には岩があるから行っちゃダメ、といわれても水流で持っていかれる。
かと思えば、いつのまにか先へ先へと。隊列があったはずなのに、だ。川には落ち込みもあれば、とつじょ流れが速くなるところがあるという。この川の声とでもいうべき状況を先読みできない初心者は、隊列の中で、きちんとくっついていくしかないらしい。急激な状況の変化に対応できる腕を持っていないからだ。ナルホドね。
そういえば往路の車中だ。A木さんとM子さんの会話が聞こえてきたっけ。“結局のところ、(カヌーって)絶対安全だとはいいきれないんだよね”。
でも、小波の立つ合流水域を一気にぬけるときはたのしかった。そ~れ、もっと来い、と思ったものだった。そして、キャンプの夜。たのしかった。初秋の河畔、酒うまし、ほうとううまし。『各自食器をもってこいよ』といわれていたのに、忘れた。(D井さん、K林さん、食器ありがとうございました。下野新聞・地方版に『那珂川河畔に男の死体。キャンプの行楽客か。馬頭警察署の発表では死因は餓死。事件性はなく、まぬけな事故と断定』とあやうく載るところでした)
●水神降臨せず。
車3台で上流の出発点へ向かった。1台はキャンプ地に残し、帰着後に1台に4人で分乗、出発点へ3台の車をとりにいくという。“どうするんだろう?”と深い謎だった。(地下鉄漫才の春日三球ならば“夜も眠れない”となるところ)・・・こういうからくりだったのか。カヌーイストはアタマがいい。
出発点までどのくらい車に乗ったのだろう。今回はとくに長く、これまでの5割増し、全長15キロを下ったとは後日の談。
ぼくひとり、5度沈んだ。なかには、「沈」をいちどはこらえて完全にもちなおした直後、どうということもない状況だった。水温は思ったほど低くはない。しかし、流れは川面からの見た目よりも速い。沈んだ直後、初めて着用したスプレイカバーを外しにかかる。あわてはしなかったが、とにかく水流で体がよじれる。ライフジャケットをつけているせいか、上半身は水面に向かい、しかし下半身はガッチリと艇の中。水中で「Jの字」をつくってもなんの意味もないではないか。足が着いたり着かなかったり。『手離すな』といわれているパドルをもったまま思うように動きがとれない。すさまじい勢いで流された。
そうだった。A木さんもいってたっけ。“結局のところ、(カヌーって)絶対安全だとはいいきれないんだよね”。あの流れの中で、岩にもっていかれれば、運が悪けりゃ出血多量もありうるんだ。
そういえばK見さん。ウィスキー、ごちそうさまでした。からだが冷えると疲労感が増す、とか。寒中ゴルフで、コッフェルにしのばせて、ちょくちょく一杯やったものの、まさかカヌーで気つけ薬を飲む羽目になるとはなぁ。
右手の親指内側が痛い、腹筋も背筋も悲鳴をあげている。前傾の姿勢を保てない。えい、ままよ。親指をはずし、5本ともにそろえてパドルを握りかえる。姿勢は前傾をやめ後ろに寄りかかる。“流れが緩やかなところならいいだろう”。
どっこい、川は生きていた。いつのまにか流れが変わっている。先が読めない初心者だ。合流点、右に行かなきゃ行けないのに、曲がれない。左のパドルが川をとらえられない。あざわらうように空を切る。握りかえた右手の位置がずれていたのだ。向きをかえようと右のパドルで右舷を抑える。無理だった。またもや右舷にドボン。こりゃ、行(ぎょう)だ。スポーツを超え、行だ、それも荒行だ。
●公式発表は23キロ。
帰着当夜、掲示板にK見さんの記事を発見した。“公式発表”によれば、『計ってみると23kmのロングランでした』。えっ??? 15キロじゃなかったの?
やっぱり荒行だったんだ。しかし、こうして、わたしは大阿舎利になった。
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●お礼。
Aさん、水面におどる50センチhigh(?)の波をくぐっているときの『ガンバレッ』のひとこと。ありがとうございました。あれがなければ茨城新聞・地方版に『大洗海岸に溺死体。腐乱進み性別不明。このまま放置か?』とあやうく載るところでした。
M子さん、細腕での帰路の運転。ありがとうございました。“手弱女”にして、しなやかなパドル操作、脱帽です。了
記念式典で確かめた
大隈講堂の銘板に載っていました。二つ並んで。なんとなく満足感がある。